Kessler ブランドヒストリー|スイス発スノーボード界を変えた革新の軌跡
- 2025.10.09 (木)
- Kessler
目次:
- 技術への情熱が動かしたブランドの歴史
- 素材と品質へのこだわり
- 創業者ハンスユルク・ケスラー氏インタビュー
1.技術への情熱が動かしたブランドの歴史
- ブランド創設の背景:スイス・グラナーランドから始まった挑戦
1988年、スイス・グラナーランドで誕生した Kessler(ケスラー)。
創業者 ハンスユルク・ケスラー は、スキー業界で確立された高性能テクノロジーをスノーボードにも応用し、同等のパフォーマンスを実現したいと考えていました。
雪・スキー・スノーボードの相互作用を研究し、最初のボードを独自開発。シンプルな構造ながらも、徹底的に現場でテストを重ね、性能を磨き上げました。
1990年、Kesslerのライダー ステファン・コッホ がスイス選手権で優勝。翌年の世界選手権では銅メダルを獲得し、ブランドの名が一気に世界へ広まりました。
自社製造と精密生産体制の確立
Kesslerが開発した製造機械は、短時間で膨大な種類のボードを高精度に生産できる画期的なもの。
コンピュータ制御によって品質と再現性を両立し、ライダーからのフィードバックを即時に反映。
このスイス品質の精密製造体制が、Kessler製品の信頼性を支える基盤となっています。
- チタナル ─ ワールドカップのスタンダード素材へ
1994年、Kesslerはスノーボード業界で初めて「チタナル(Titanal)」を導入。
この素材は優れたねじれ剛性とグリップ力を実現し、氷上でも安定した滑走を可能にしました。
2002年のソルトレークシティオリンピックで金メダルを獲得したことを皮切りに、Kesslerボードは数多くのメダルを生み出し、世界大会の標準(ワールドカップ・スタンダード)として認められました。
- KSTテクノロジーが生んだ勝利の方程式
Kessler独自のシェイプテクノロジー「KST(Kessler Shape Technology)」は、レース界で革命を起こしました。
2006年トリノオリンピックでは、Kesslerライダーが6個中5個のメダルを獲得。
2007年の世界選手権では12個中11個のメダルを手にし、表彰台を独占。
2008年にはアメリカの グラハム・ワタナベ がKessler BXボードでボーダークロス金メダルを獲得し、
2010年のオリンピックではKesslerが最も成功したスノーボードブランドとして名を刻みました。
- スキー開発技術の応用
研究開発の初期、Kesslerはスノーボード性能を高めるためにスキー構造を分析。
その成果はやがてカービングスキーの革新につながりました。
2009年にはISPOブランド・ニュー・アワードのファイナリストに選出され、
Kesslerのテクノロジーは、トップアスリートだけでなく、一般ライダーにも手の届く存在となりました。
- Kessler・スイスAGの設立と世界展開
2009年、スイス・バールに Kessler Swiss AG が設立され、製品の設計・生産・販売を一元化。
販売チームとマーケティング専門家が連携し、世界中のユーザーに最適な製品を届けています。
現在もスイス本社を中心に、世界中のパートナーショップと緊密に協力しながらブランド価値を高め続けています。
2.素材と品質へのこだわり
3.創業者ハンスユルク・ケスラー氏インタビュー
━スキーやスノーボードの用具を自分で作り始めたきっかけは何ですか?
「最初のボードを作ったのは1988年。当時はまだいいボードがなかったし、持っていたボードも僕らがやりたいことをやるには十分じゃなかった。スノーボードというスポーツがヨーロッパとアルプスに上陸したのは1985年。オリジナルのスノーボードは、フレックスやテーパーがまったく違っていたので、ウォータースポーツから生まれたものだとすぐにわかります。実際、私も最初は背中にフィンがついたボードを使っていました!それがきっかけで、ボードはもっと違うものであるべきだと考えるようになりました。スキーのインストラクターとしての経験から、雪とスキー板の間に起こる物理的な相互作用について理解していました。そして、これらの相互作用はスキーに限ったことではなくて、雪とスノーボードでもまったく同じであるとわかりました」
━最初はどのようなことが大変でしたか?
「最も難しかったことは、どのような材料を使い、それをどこから手に入れ、どのように使うかを見つけることです。最初のボードを作るのに約100時間かかりました。すべての製造工程を開発する必要があったからです」
━そこからどのように発展していったのでしょうか?
「最初に作ったボードは素晴らしかった。そして2本目のボードはまったく使えないものでした!しかし、非常に画期的なものでした。厚さ60ミリのオーク板みたいなものが材料だったので、テストもできませんでした。実際に雪上に出ることはなかったけど、作ることで多くのことを学びました。その後、3本目、4本目のボードができ、同時にスノーボードのインストラクターとしてのトレーニングも受けました。90年代に入ると、私の友人でスノーボードレーサーのステファン・コッホが世界選手権で私のボードを使用し、銅メダルを獲得しました。これによって事態は一気に好転したのです」
━その後の成功は 競技レースにおいてですが、それは計画的なことだったのでしょうか?
「正直なところ、プランなんてありませんでした。すべては直感に基づいていましたが、レースビジネスには常に興味を持っていたと思います。レースでは、タイムが遅いか速いかを明確に理解できるし、タイムには反論できないからね」
━ご自身の成功を予想していましたか?
「1988年当時にそう聞かれたら、私はノーと答えたでしょうね。当時はそんなことは考えもしなかった。2004年まで、私たちは常に大手メーカーと戦っていましたから。そうした状況が突然変わって、誰も既成のボードを欲しがらなくなり、私たちから直接買いたいという声が大きくなりました。顧客は大手メーカーに別れを告げ、大手メーカーもそれに気づいて撤退したというところでしょうか」
━挫折を経験したことはありますか?
「1996年、誰もが絶賛する素晴らしいボードを開発しました。しかし、その2ヵ月後、ある問題が発生し、翌年の冬には、生産したボードのほぼ100%を交換しなければならなくなりました、ボードが長持ちしなかったのです。そのときは、続けるか、やめるかという決断を迫られました」
━続けるという選択は賢明でしたね
「2002年は、フィリップ・ショッホがソルトレークシティオリンピックで、Kesslerのボードを使って優勝しました。しかし、この優勝は当時、他のライダーには大きな影響をもたらしませんでした。フィリップがワールドカップで優勝した2003年、2004年の冬になって初めて、他の選手たちはオリンピックでの優勝が偶然ではないと気づいたのです」
━その直後に オリンピックでも大成功を収めたのですね
「これには、2005年のKSTの発展が大きく関係しています。翌2006年の冬には、オリンピックで6個中5個のメダルを獲得しました」
━KesslerのKSTは 多くの人に受け入れられる技術になるでしょうか
「私はそのようになると思っていますが、ライダーの目標にもよります。Kesslerの目標は、あらゆるレベルのライダーのためにボードを作ることで、ライダーがすぐに乗りこなせるものを履いて、同時に高いパフォーマンスを達成できるようにすることです」
━ブランドに対する最大の願いは何でしょうか
「スキーとスノーボードの両分野において、有能で経験豊富なブランドであると認識され、またそれぞれの市場からも十分に受け入れられる可能性を秘めているのがKesslerだと思っています」
創業から35年以上、Kesslerは常に革新とテクノロジーへの情熱を原動力に、
スキー・スノーボード業界に新たなスタンダードを生み出してきました。
これからもその理念は変わることなく、次世代ライダーへと受け継がれていきます。